41.感謝について :: 2007/06/16(Sat) |
20070616 00240 41.感謝について
なぜ、感謝が大切なのか・・・・・・、僕なりに考えてみた。 難しい理論は分からない(^^;。しかし、己の心を見つめれば、一目瞭然だ。感謝できる時、僕はいつも「幸せ」を感じていた。感謝できない時は、いつも苦しかった。これは経験則というヤツだ。
たとえば、美味しいものを食べて、「美味しいなあ」と感じたとする。これも一つの「幸せ」かもしれない。でも、これだけでは、まだまだ「幸せ」感が弱い。しかし、「美味しいなあ」という思いの次に、「ああ、こんな美味しいものをいただくことができるなんて、本当にありがたいことだ」と、感謝の気持がしみじみとわき出て来たとしたら、どうだろうか? かなりの「幸せ」感だと言えないだろうか?・・・・・・。
このように、「感謝」には「幸せ」を増幅させる力があるのではないかと僕は思うのです。つまり「感謝」すればするほど「幸せ」になっていくということではないかということです。 「感謝することがないから、感謝することなんてできないよ」と思っている人も多いでしょう。そういう人は、「宝くじが当たる」とか、「美女に迫られる」とか、そういった特別な幸運が舞い込んで来たら感謝しようと思っているのかもしれない。しかし、「感謝」とは、そうした特別なことだけにするものではない。
たとえば、「目が見えること」。目が見える人にとっては当たり前のことだ。しかし、ある日、突然、目に痛みを覚えたとせよ。そして、医者に、「失明の可能性が高い」と宣告される・・・・・・。さあ、どうでしょうか? こうなって初めて、当たり前と思っていたことが、実は当たり前ではなかったということが分かるのであります。
こういう感じで、今の自分自身を振り返って見れば、「感謝」すべきことは幾らでも出てくるはずなのですね。出てこないのは「感謝センサー」(^^;が錆び付いて鈍感になっているだけのことなのです。つまり、この「感謝センサー」の感度を鋭敏にすることによって、特別な幸運が舞い込んで来なくとも、今の状態のままで「幸せ」感を増幅させることができるのであります。
簡単なテストがあります。「ホームレスの人々を見て、どう思うか?」・・・・・・。 この答えを聞くと、その人の「感謝センサー」の感度がどの程度のものであるかが、大体分かるのです。あえて具体的なことは書きませんが、だいたい言わんとしていることは分かっていただけると思います。
相手の立場になって考えること、「同情心」や「思いやり」が、「感謝センサー」を磨く一つの鍵になっていると思います。己の心を磨くことができるのは己自身だけです。磨き抜けば、「感謝」の達人となって、どんなことにも「感謝」できて、大きな幸せを感じることができるでしょう。磨かなければ、どんなことにも不満を感じ、愚痴ったり、不平を並べたてることでしょう。
「愚痴」「不平」「不満」の心に「幸せ」はないのであります。「感謝」が「幸せ」感を増幅させるように、「愚痴・不平・不満」は「不幸せ」感を増幅させる。「類は友を呼び、類でないものは反発し合う」法則であります。「感謝」が「幸せ」を呼び、その「幸せ」が新たな「感謝」を生む。 「感謝できる心の状態」、それが「幸せ」である(・・・・・・と思う(^^;)。
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大地を枕に-元気ですか? 僕は元気です。- |
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Author:大和春道 |
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