絶句・・・・・・ :: 2015/07/11(Sat) |
あーーーーーっ!!! やってしまった・・・・・・ ここに書いていた記事を消去してしまった・・・・・・ガクッ もう再現することなんて無理・・・・・・ 要点だけを書いておこう・・・・・・ レムリア・ルネッサンスのアマーリエさんが、もう二年も前にお亡くなりになっていた・・・・・・ 何気なく、レムリアはどうしてるのか?とネットで調べていて、その驚愕の事実を知って、絶句してしまったという話しだ。 そして、昔のことを思い出して色々と書いてみたのだが、 消去してしまったら、もう一度書く気になれないなぁ(^^; まあ、いいか。たいした話しでもないし。 いまさらですが、 ご冥福を心よりお祈り申し上げます。 (↑2015.7.20追記) (↓2015.7.21追記) 7月11日の「絶句・・・・・・」という記事ですが、 ミスをして消去してしまいました。 今、ネットで検索して、キャッシュというのを開いてみたら、 まるまる残っていたのでコピーを貼り付けておきます。 どうも、お騒がせしました 「絶句・・・・・・」(再掲) 昨日、本屋さんにレムリア・ルネッサンスの本が並んでいたので、ちょっと立ち読みした。 で、夜、最近はどうしてるのかな?とネットで調べてたら、絶句してしまった。 アマーリエさんがお亡くなりになられていたようで・・・・・・ それも二年も前に・・・・・・ 冗談だろ!?と思って、レムリアルネッサンスのホームページを見てみると、 アマーリエさんの紹介のところに、 「彼女自身は、地上での使命を終えて帰天した」と書き加えられているではないか!・・・・・・ 巫女病で体がガタガタになってしまったというネット上のウワサは知っていたが・・・・・・ まさか死んでしまうなんて・・・・・・ レムリアルネッサンスに対しては複雑な思いがある。 昔のことをすこし振り返ってみたいと思う。 10年ぐらい前かな、 関谷さんの著書を読み、”レムリアの風”のことを知り、 ホームページの掲示板に書き込みをするようになった。 大川隆法先生の変節により魂の行き場を失い、 長い間さ迷い続けていた僕にとって、 そこはオアシスのような場であった。 ”レムリアの風”で特にシビれたのは、「余りもの」でいいってトコロ。 高橋信次先生の死後、 GLAが分裂して、多くの人々がさ迷い人となった。 その後、大川先生が現われて、さ迷い人たちに道を示した。 ところが今度は大川先生が変節して、 またもや大勢の人々が道に迷ってしまった。 次ぎの指導者が現われるまでさ迷い続けることだろう。 「余りもの」たちはそのさ迷い人たちの中にいるのだ。 優秀な信者たちはすぐに頭角をあらわし、 まもなく教祖の側近として仕えることになる。 しかしいったん側近として仕えてしまったら、 いろいろなしがらみが生まれ、 優秀な魂であっても、教祖や組織の方針に盲従せざるを得なくなってしまうものだ。 たとえばこういうことだ。 教団から出る給料で生活するようになったら、 教団に逆らって居場所を失えば、たちまち御まんまの食い上げである。家族を養うことができない。 だから、内心では教団がおかしい方向に進み始めたのでは? と思いながらも、家族を養うためには教団についていくしかないのであります。 また、人類の王様である教祖の側近としての地位にしがみついていたいと思う。その高い地位にいれば、一般の信者たちが「先生、先生」とチヤホヤしてくれる。気持ち良きことこの上なしだろう。 そういう保身の思いがいつしか真理探究の情熱を燻ぶらせてしまうのだ。 結果的に見れば、それもこれも優秀であるがゆえのことと言えよう。 つまり優秀な人々の大半は既に教団に取り込まれてしまって、 もはや身動きが取れなくなっているということなのだ。 もしその教団が道を踏み外してしまったら、 優秀な人たちも教団と一緒に沈んでいくことになる。 真理のバトンが信次先生の死後、別の教団の大川先生へと継承された。 しかし、もし大川先生が堕ちてしまったら真理はどうなるか? 優秀な側近たちも大川先生とともに堕ちていくだろう。 そう、優秀な側近たちに法灯を守ってもらいたいのはヤマヤマだけれど、できないってこと。 だったら優秀でないその他諸々の「余りもの」たちの未熟な力を結集して、ボロボロになってでもバトンを守り抜くしかないじゃないか。 「余りもの」たちには法を説く力はない。 「余りもの」たちにできることは中継ぎである。 法灯を守り、次ぎに現われる本命の指導者にバトンタッチするまでの中継ぎ。 それが「レムリアの風」の役割である・・・・・・ とまあ、こういう感じなんですが、正直シビれましたよ。 「余りもの」というと聞こえが悪いですが、 要は「人につかず、組織につかず、法につけ」という教えの体現者たちのことを言ってるんですね。 そういう人たちは世渡りが下手くそで、いつも仲間はずれにされてしまうはみ出し者です。 でも指導者が堕ちた時は、そういう者たちでなければバトンを守り抜くことができないということです。 とりあえず、ここまで(^^; (以下↓2015.7.15追記) さて「余りもの」とひとくくりにしているが、「余りもの」にもいろいろある。 関谷さんのような豪快な「余りもの」から、私のように糸の切れた凧状態のさ迷い人まで(^^; ただ共通しているのは「おかしい!?」という思いに目を瞑り、 教祖や組織に盲従することは、どうしてもできないという点。 この思いがあったから私のようなものにも「余りもの」としての使い道があるのだそうです。 あ、そうそう、「レムリアの風」で特長的だったのは、 「芸術を通して真理を表現し、広めていく」という方針。 ただ私の場合、芸術の才能がほぼ無いので、 「これはどうしたものか?」と戸惑いましたね(^^; 「レムリアの風」ホームページの書き込み時代は、 「神の七色光線」ということで、仏教系や老荘系にも居場所があって救われました。 でも、その後、活動に加わったある人が、 「これほどの奇跡の時に、あんたは書き込みなんかで能書きを垂れているだけで良いのか? もっと真剣に活動したらどうだ!?」と責めてくるので、 「ああ、やっぱり組織ってのはこうなって来るんだな」と距離を置くようにした。 しばらくすると、内部分裂して、また声がかかり、 「自分にできる範囲でお手伝いさせてもらえるのなら」ということで、再び合流。 その後、関谷さんが抜け、また別の新グループが合流・・・・・・ ある集まりで、その新グループの人たちに 「第二期のメンバーは口先だけだ。情熱と行動が無い!」ってな感じで、激しくなじられて、 「やっぱり、こうなるか」・・・・・・と悟り、 離脱することにした。 その後、レムリア・ルネッサンスがどうなっていくのか? 気にはなっていたが、ネット上の情報が少なかったので、どういう活動を行なっているのか、イマイチよく分らなかった。 私は、レムリア・ルネッサンスの根本はアマーリエさんの降ろす霊言だから、 その霊言をサニワすることが一番大切なことだと思っていた。 しかし、私が見た限りではサニワはやってなかったように思う。 ※くだらないことだが、「あれ?」って思った霊言を一つ。 坂本竜馬霊の言葉にこんなのがあるらしい。 「出口の親父(出口王仁三郎)はほんとうにおもしろいやつだよ。彼とは話がとても合ってね、酒の話で一致してるんだ。世界維新する者が、酒飲めなくてどうする?君たち、飲みなさい・・・・・・云々」 ところが生前の出口王仁三郎自身は下戸で(^^;、信者たちに勧めるようなこともなかった。 次のような言葉も残っている。 「酒は慎しまなくては乱れる。まして酒を飲みつつ神様の話や教えの話をするのは不謹慎である・・・・・・」 ただしワインに関しては「邪気をはらい、新陳代謝を助ける」として肯定的に捉えているようだ。 一番疑問に思ったのは、9次元霊の霊言だった。 もちろん例外として、たとえばマホメットにアラーのお告げがあったように、8次元以下の悟りの者に9次元霊の言葉が降ろされることはあると思う。 しかし、レムリア霊言のように9次元霊の言葉が普通に降ろされるってのは、 ほんとうにほんとうなのか?・・・・・・ しかもその後、10次元以上の存在からのメッセージも降ろされたらしい・・・・・・ ここまで来ると、理論上ありえないことだから、そう簡単に信じることはできない。 ちなみに、アマーリエさんの巫女病は、 9次元以上のトンでもないパワーと接触するという無茶苦茶なことをやったためだとされている。 しかし、悪く考えれば、9次元霊だと思っていたのは、 実は間違いで悪魔だったと考えることもできる。 悪魔に支配されてしまったら、やがて廃人となってしまうといいますからね・・・・・・ だから、レムリア霊言に関しても、 ホントに正しいものか、間違っているものか、まだ決めかねている状態です(^^; というか、レムリアを離れてからは、原点に帰ると言うことで、 レムリア霊言のサニワは止めてしまったので、今後も自分なりの結論を出すことはないと思う。 「神理は既に降ろされている」というのが私の考えだ。 新しい霊言や新しい教えというものは、新しいように見えているだけで、 実は過去に説かれた教えの焼き直しである、と思っているのだ。 だから個人レベルにおいては、新しい霊言に振り回されるよりは、 かつて説かれ、時代の変遷を乗り越えて、今も光を放ち続けている言葉に学ぶほうが堅実だと考え、 新しい霊言とか新しい教えなどは無視するようにしている(^^; まあ、こんな感じでレムリア・ルネッサンスに関しては、チョット複雑な思いがあるのだ。 アマーリエさんに言われて、一番印象に残っているのはこんな言葉だ。 録音していたワケでないので正確ではない(^^;。 「神様から声がかかったら、その時に決断しないといけない。 その時にその人が最も必要とされているから声がかかるのです。 でも神様は声をかけはするけれど、けっして強要はしない。 代わりの者は幾らでもいるからです。 あなたが保留にしたり、断れば、別の者に声がかかるだけ。 この時を逃せば、機会は永遠に失われるということ・・・・・・」 神様の招命とはそういうものなのだろう。 しかし、こういう言葉に躍らされて、人生を狂わされたものが多くいるのも事実である。難しい問題です・・・・・・ 色々取りとめもなく書いてしまったが、 アマーリエさんが亡くなっていたことを今頃知り、 とてもショックを受けてしまったということです・・・・・・ いまさらですが、 ご冥福を心からお祈り申し上げます。
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大地を枕に-元気ですか? 僕は元気です。- |
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Author:大和春道 |
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