おみくじ修行 :: 2013/04/08(Mon) |
昔、深見東州師の本で、「おみくじ修行」という修行法を知った。 この修行法はナカナカ良いと思う。 大抵の人はおみくじを引いて、吉か凶かを見て、それで終わりだ(^^;。 吉が出たら「うれしい」、凶が出たら「やばい、神様なんとかして下さい」・・・ってなもんです。 おみくじ修行には、吉凶は関係ない。 おみくじに書かれている「神の教え」を、今現在の己の最重要課題として真剣に取り組みましょう・・・というのがおみくじ修行。 人生の目的は”魂修行”だと分っていても、あまりにも漠然としていて、何をどうすればいいのか分らなくなる。 また、アレもコレもと手を出しすぎると、結局すべてが中途半端で終わってしまうものだ。 といって何でもかんでも教祖や占い師に相談するのもお奨めできない。 そこで迷ったときはおみくじに聞け!ということなのだ(^^;。 イヤイヤこれは冗談ではない。 おみくじに書かれている「神の教え」をよく読んで欲しい。 本当にいいことが書かれていると思うのだ。 そこには小ざかしい理論も、くだらぬドグマもない。 まじないの言葉もなければ、「どこそこの聖地へ行け」という指図もない。 平易な言葉であたりまえのことが書かれているだけ。 楽して成功する魔術を求めている人にとっては、実に物足りないことだと思う。 しかし神法、正法とはそういうものだ。 「まず当たり前のことを当たり前にできるようになりなさい」と言った感じだろうか? 実際そうだと思う。 当たり前のことがどうしてもできないのではないだろうか。 壮大な宇宙の法を学んだところで、当たり前のことがいつまで経ってもできないのなら、何の意味があるだろうか? 「今この時期に壮大な法を学んでいる俺って選ばれし者かも!?」という優越感に酔いしれて、ただ学んだだけで己の魂までもが向上したと錯覚しているだけなのだ。 魂は、当たり前のことを当たり前にできるように自らが努力しているときにだけ伸びるもの。 本を読むだけでは駄目。脳みその目方が増えるだけ(^^;。 いや、中途半端な読書では頭でっかちになるだけだから、かえってマイナスになることが多い。 当たり前のことを頑張っている人の読書は有意義だが、実践のない読書は害だと思う。 とにかく(^^;、 おみくじのあの当たり前の教えをバカにしてはいけない。 あれを今の課題として真剣に取り組めば、スピリチュアル本を読むよりも何十倍もの真の学びがあると私は思っている。
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大地を枕に-元気ですか? 僕は元気です。- |
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Author:大和春道 |
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