本、読書について。蔵書数はわれわれ一般人の家だと千冊ぐらいで限界ではないだろうか? 引越しのとき、本が邪魔になって、真剣に悩んだ(^^;。悩んだ末、処分することにした。それまでは本を大切にするタイプの人間だったが、大量に処分したことで吹っ切れた(^^;。 12-02 20:21
今、本を置いている部屋は六畳で、西側の壁に本棚を三つ並べている。ざっと計算すると千冊ぐらいかなって思う。これ以上増えてくると邪魔になってくるので、時々、処分していく。だから本の冊数はほぼ千冊をキープしている。 12-02 20:25
千冊のうち、未読の本がたぶん300冊ぐらいある(^^;。まずそれを読んでから新しい本を買えばいいのだが・・・。未読の本ってのは、要するに、僕の頭では理解できない難しい本。でも読みたいので、とりあえず買った本だ。で、結局、積ん読だけ(^^;。 12-02 20:32
たとえば船井幸雄の本なら、それなりにおもしろし、流し読みしても何となく理解できる。一ヶ月あれば何十冊か読めるだろう。でも、たとえば「聖書」とか「仏教聖典」。こういうのは時間がかかる。面白みがなくて味気ないから、読み通すには相当の根気がいる。 12-02 20:39
となってくると、どうしても読みやすい本に流されていく。10冊読んだ、100冊読んだ、1000冊読んだ。だんだん読書家になった気がして、何となくうれしくなってくる・・・(^^;。でも実際のことを言うと、船井幸雄を100冊読むよりも、聖書一冊を真剣に精読したほうが得るものが多いと思う 12-02 20:44
スピリチュアル系の掲示板を見てると、時々「1万冊読破した」とか書き込んでいる人がいるけど、たとえば、一日一冊読むとして、1万日かかるわけだ。1万日は約27年。その人が10才のときから37才のときまで、毎日一冊ずつ読んで、一万冊読破できるということになる。 12-02 20:52
としたら、おそらくその人が読んできたほとんどの本は、船井幸雄の書くような本に違いない(^^;。1万冊読んだからといって、それがどうしたの?ってことになる。読書は数や量じゃないと思う。もちろん、たくさん読めば、読書力はついてくると思う。でも、一日一冊読んでいっても、 12-02 20:58
50年で18000冊だ。人生は長いようで短い。読書ばかりして暮らすわけにもいくまい。残された読書タイムは限られているのだ。そう考えてみると船井氏の本とかたま出版のトンデモ本ばかりじゃ悲しいではないか。古典といわれるような本に挑戦したいものであります。 12-02 21:04
じっくり時間をかけて「論語」を読む。聖書を読む。仏教の経典を紐解く。当然、一日一冊というのは無理だろう。でもどうでもいいような本を一万冊読破するよりも、きっとためになると思う。エドガー・ケーシーという人は聖書ばかり読んでいたそうです(^^;。それがホントなら、 12-02 21:09
彼は生涯に一冊読破しただけということになる(^^;。それでもあれだけの業績を残しているのだ。「何冊読んだ」と自慢しているうちはまだまだだ。本当にできた人は読まなくても、人生の真理を洞察するものだ。教養がなくても悟る人は悟るのだ。もちろん教養を否定しているのではない。 12-02 21:15
本当の読書をしてきた人には深い味わいがあり、それもまた非常に魅力的だと思います。でもそういう人は「何冊読んだ」なんて自慢しない。そんなことは無意味だと知っているから。読書が深まるほど、つまらないものを読まなくなる。読書量を減らして、読書の質を高めたいのだろう。そんな気がします。 12-02 21:22
Author:大和春道 ↑似てねぇーっ!(^^;元気ですかーっ?大和春道です。このブログのメインテーマは正法神理。自燈明・法燈明の精神で、一歩ずつ一歩ずつ前進していきたいなと思います。どうか、よろしくお願いします。<(_ _)>
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